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眼を開く
ひろぽんさん 2000年7月13日(木) 16時31分
あらすじ 若い時分に創作活動のため、人里離れた山奥に引っ込み、自炊生活をしていた「私」。 唯物的な思想にカブれ、何事もクールに冷徹に考える癖がついていたが、誠実な郵便配達手、忠平の吹雪の中の行方不明事件によって、打ち砕かれてしまう。
この作品はエログロもなければ猟奇もない純文学である。 特に印象的なクライマックスとか難しい筋もないが、久作の根幹をなす「声なき民の声」の思想をシンプルに表現している。 久作の作品ではおなじみの唯物的思考(?)の持ち主である主人公を登場させることによって、誠実で職務に忠実な何でもない普通の民を浮かび上がらせている。
しかし主人公もちょっと変わった普通の人にすぎない。 唯物的に思考するクセのついた普通の人である。今まで何事も無かったが故に事件によって目を覚まされたのだ。 題名の「眼を開く」は思想の吹雪によって目をくらまされていた主人公が、一人の太陽のような魂を持った人間によって眼を覚まされた、という対比を意図しているのではないだろうか。
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縊死体
チイさん 2000年7月13日(木) 16時32分
【ストーリイ】 絞殺した女を廃家の梁にロープでぶら下げ、新聞に縊死体の記事が載るのを毎日楽しみに公園で新聞をめくる男。 或る日の夕暮れの事、いつものように公園のベンチに腰掛けていると、足元に落ちている新聞の三面記事に目が止まる。 「廃屋にて背広姿の男性縊死発見される」 驚いてその廃屋へ行き、暗い室内にマッチで明かりを灯すと、そこにあったものは・・・
【解説】 この作品はフランスの「ふくろうの河」(監督:ロベール・アンリコ)という短編映画と同じ構成を持った類似作品とも見て取れる。 つまり、男は既に縊死されているわけであり、物語そのものが男の死後に男の精神が見せた一瞬の幻想なのである。
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けむりを吐かぬ煙突
櫻羅さん 2000年2000年7月13日(木) 16時34分
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崑崙茶(狂人は笑う)
ひろぽんさん 2000年7月13日(木) 16時41分
「サクッ!と投票」の方にこの作品が上がっていたので、思い出したように読みました。
-----あらすじ----- 設定としては、学生らしい男が病室にいるらしい・・・が、一連の夢野作品と同じくこの男のモノローグなので、何が本当なのかドコまで本当なのか定かではない。 この男は入院してから不眠症で、その原因が隣りに寝ている支那人留学生のせいであるという。 留学生が自分の鎮静剤に「崑崙茶」という強力な作用を持ったお茶のエキスを気付かない間に仕込んでいるらしい。 「崑崙茶」とは、中国の大富豪のお茶趣味の究極であり、これに囚われた者は身を滅ぼすとまで言われている・・・ -----------------------------------------
崑崙茶(こんろん茶)という物が本当にあるのかどうかは、ちょっとわからない。 ネットで検索してみたが、それらしいものは見当たらないので、実際にある別の話を元にした久作の創作かもしれない。 ↓崑崙花という植物はあったが、関係ないだろう。 http://www.interq.or.jp/green/yyyy/konron.html
崑崙茶に関する挿話の舞台は、中国の崑崙(クンルン)山脈。 (チベット高原とタクラマカン砂漠の間に位置する) チベット奥地というのが何か真実味を感じさせる。 崑崙山脈にだけ生えるという特別な種類のお茶の木から採れるお茶っぱから、特別な方法で生成されたお茶が崑崙茶であるというわけだ。
葉っぱというのは身近なところでタバコに始まり、各種麻薬や薬草、或いはキツネやタヌキが人を化かすのに使ったり、不思議な力を持ったものの代表である。 ここで描かれている崑崙茶は、お茶というよりも何か麻薬のようである。 それ自体の効果だけではなく、それを手に入れるまでの莫大な費用と労力にロマン的な印象を与えている。
しかしなぜ狂人の語りにこの挿話を持ってきたのか、色々と考える余地があるが、現代の都市伝説に似た発想のようでもある。 中国奥地には得体のしれない物、出来事があるという日本人的感覚と、そこから帰還した者は常態ではいられないという不気味さ。 この辺に同時代性と久作作品によく見られる偶然的(?)先見性を読み取ることができる。
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崑崙茶の正体
ひろぽんさん 2000年7月13日(木) 16時40分
「夢野久作展実行委員会」発行、『夢野久作〜快人Q作ランド〜』に崑崙茶の正体についての説明があった。
世界中に分布しており、砂漠地帯に生える低木の一種「麻黄」のことではないかということである。 赤い実をつけるが興奮作用をもたらすのは茎のほうで、乾燥させ熱湯で煎じると興奮作用の高いお茶ができるとのこと。 アドレナリンに似たエフェドリンという物質を含み、ハイな状態を作り出す。
米国では、カフェインを禁じられていた初期のモルモン教徒がこれを煎じて愛飲していた。 現在でもハーブショップで「モルモンティー」として店頭に並んでいるとのこと。 中国産の「麻黄」は特に強力な効果を持っており、ナチュラル・ドラッグとして人気が高いそう。
崑崙(クンルン)山脈の「崑崙」とは元々想像上の山で、8人の神仙が住んでいるという伝説がある。 日本にも奈良時代に「伎楽」という仮面舞曲が中国から伝来しており、八仙人の舞による「崑崙」という演目があるとのこと。
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....掲示板って思って書きますよ?
藤原真秀さん 2000年7月13日(木) 16時27分
...すいません。 この前断りもなしに、「まなうら...」を投稿させてもらいました藤原真秀〈フジワラ・マホ〉です。 この前、日本語学講義のレポートに、夢野さんの作品を使いましたよー。〈作品中における、カタカナ表記についてなんですけどね。〉 私は、日本文学をやってるんです。必修ので仕方なく語学のをとってたんですけど...悔しいから夢野さんのでやりました〈笑〉。 先生も笑ってたから、大丈夫でしょう??
私は、「死後の恋」が好きですね。なんか、好き。 まだ全部の作品を読んでないんで、これからサクサク読みます!!
では、またhp、きますね。
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RE:....掲示板って思って書きますよ?
ひろぽんさん 2000年7月13日(木) 16時28分
真秀さんはじめまして。 投稿は遠慮無くドーゾ! 僕はスッカリ誰か知ってる人がペンネームで投稿したのかと思ってました。
文学部ですか。うらやましですね〜。 僕は文学部に憧れる経済学部です。人生の大きな選択ミスの一つだと思ってます。(笑)
でも久作はどうなんですかね・・・?? 思想とか独特の個性という意味では面白いですけど、日本の正統的な文学的評価からいくとちょっと弱いですよね。 世界的な基準で見ると、かなり評価があると思うんですけど、やっぱり小説って「言語」がネックになりますよね。 久作って小説によってもイロイロ傾向が違うから、レポートとかする場合、作品選びが重要でしょうね。
『死後の恋』いいですよね〜。 何とも言えないもどかしさのある悲劇というか・・・ それと、ロシアという舞台が影響してるのかもしれないですけど、読んだ後、文章そのものより情景のイメージが残りました。映画とかにはもってこいの作品だと思うんですけどね。 あと同じロシアもので『氷の涯』というのもあるんですけど、これがまた大好きなんですよ。(^^)
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...新作を明日にでも!!
藤原まほさん 2000年7月13日(木) 16時29分
こんにちは。まほです。 投稿をしようとしたら、何故かできませんでした。 明日学校に来て、明日こそ投稿するぞ!!って思ってます。 久作は、カタカナ表記が面白いですよね?? 今度私もやってみようと思います。
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真秀ちゃんのおともだちでーす♪
よーこさん 2000年7月13日(木) 16時38分
蜘蛛の巣がかかった太陽
ハジメマシテ。藤原真秀とおんなじ学校の友達の よーこと申します。(^^) 同じく文学部でーす。てゆってもあたしの専門は古代の神話なんですが ヤミで近代好きな子です。 夢野好きです♪あたしのお気には、『瓶詰地獄』かなぁ。 人間のドロドロモヤモヤした感情が出ててすごくいい。 『死後の恋』もよかったけど、こっちの方がなんか好き。 長編も読みたいけど、『ドグラ・マグラ』なんかは見事に 挫折中ってかんじで(^^; これからもっと読みたいと思ってます♪
ところで。あたしは結構詩とか散文も書くのが好きな子で、HP作って ちょこちょこ書いたりしてます。 コチラの猟奇歌コーナー、良いですねぇ。あたしも投稿させてもらいますっ! 真秀のやつと違って断ってから?うーん、なんて良い子(爆) 今いっしょにいるんですけどネ(^^;<真秀
ではでは。また遊びにきますね♪
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人間レコード
ひろぽんさん 2000年7月13日(木) 16時26分
久作の問題作の一つである。 『ドグラ・マグラ』のように作品として問題なのではなく、久作の作家としての問題作である。
解説にもあるのだが、強く反共・反ソ思想、国粋主義思想を表明しており、標準的な読み手は「エ?どこまでホンキで言ってるの?」と問いたくなってしまう。 最初は単に物語の材料として、時代の叙事としてこうしたモノを扱っているのかと思いつつ読み進めていくのだが、短編とはいえ結局最後まで同じ調子で反共的なセリフが続く。 『少女地獄』の『何でも無い』にもこの傾向はあるが、あくまで題材として触れるだけに収まっている。
当時の著名な作家、特に猟奇や耽美に関わる作家というのは、反戦もしくは無思想であるのが基本であると思うのだが、中央から距離があり、なお且つ作家のみを職業としていなかった久作はかなり自由奔放に筆を奮っており、 ココが久作の「はみ出した作家」である所以の一つではないだろうか。 また『ドグラ・マグラ』刊行後の作品でもあり、精神的に弛緩し饒舌に過ぎてしまった、と言うことも考えられる。
あらすじ 下関に着いた謎の老西洋人をめぐって怪しげな人物たちがコソコソと動いている。朝鮮人紳士、支那服を来た男、二人の特急列車のボーイ。 彼らは何者で老西洋人をどうするつもりなのか・・・?
さて内容についてだが、始めの方で固有名詞の無いままに次々と人物が登場する。そのため丁寧に読まないと混乱させられてしまう。 また、少年ボーイの登場で乾ききった雰囲気が多少なりとも和らげられるが、この少年の存在意義もムリヤリというか申し訳程度に物語に絡ませている感がある。 ストーリーの流れも自然とは言い難い。
こうして見ると、あまり短編向けのネタでは無いようである。 このままの設定で中編か長編にすればもっと面白かっただろうに。 せっかく用意したものがもったいない感じが残る。
以下、ネタバレ
この短編の骨子となっている「人間レコード」。 まさに最近の小説やドラマ・映画で人気のネタである、本人無自覚の刷り込みというやつだ。 もちろん『ドグラ・マグラ』も刷り込みが無関係ではないが、具体的に道具として、また人間が人間を機械のように扱う手段として扱っている点で、現在流行っているものの超先取りと言うことが出来る。
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谷崎「人魚の嘆き」と「白髪小僧」
ひろぽんさん 2000年7月13日(木) 16時25分
谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」中公文庫
谷崎の作品の中ではちょっとした変わり種でしょうか。 解説にもあるようにワイルドの「サロメ」を意識したような挿絵。 (岩波文庫「サロメ」に挿絵あり) 個人的には「人魚の嘆き」の挿絵の方が好きです。 やはり僕は耽美というより、大正ロマン(?)を求めているのです。
文章に関してもやたらと異国情緒の漂う言葉を多用していて、いきなりこれを読まされたら、谷崎作品とは気づかないでしょう。(僕の場合ですが)
澁澤龍彦の世界にもそのまま通じますね。 もしも谷崎がこの路線でもっと多く作品を書いていたなら、当時としてはかなりユニークだし、後に現れる澁澤氏のような作品ジャンルが現在とは全く違った形で繁栄していたのかもしれません。 しかし、ちょっとした変種だったのでしょう。
この作品は大人向けの御伽噺という感じでしょうか。 表現をやわらかくすれば、そのまま子供向けの作品にも成り得ますね。 何を思ってコレを書いたのか? 実験の一つだったんですかね。
谷崎は文体や表現に対して何度となく実験的な試みをしています。 「春琴抄」のように延々と段落の無い文章を書いたり、「盲目物語」のようにひらがなばかりだったり、「鍵」は日記を交互に放り出して物語を進めて行くという。
ところで内容に関しては、全てを手に入れ尽くした貴公子が現世に飽き飽きしてアチラの世界を夢見る・・・と言うわけですが、初期の作品に度々見られるように、悪魔主義・耽美主義に殉ずる決意表明のようなものが見え隠れしています。
当時はやはり主義主張というものが重要だったのでしょうか。 夢野久作も「探偵小説」に対して過剰なまでの決意を何度となく語っていますが、これらの「決意」は今の感覚からは理解できないのかもしれません。
--------- 御伽噺といえば、夢野久作は童話作家でもありました。 「人魚の嘆き」と同じく耽美系の挿絵入りの童話「白髪小僧」を書いています。 久作は絵も達者だったので、自ら挿絵を描いています。
「人魚の嘆き」とは対称的に、子供向けの童話のはずが複雑で難解な作品になってしまいました。
後の「ドグラ・マグラ」に見られるように、話がどんどん被さっていき、誰が誰かわからなくなり、真実が消滅していくという感じです。 論理的複雑さにおいては「ドグラ・マグラ」以上とも言われており、作品自体も未完のままです。 未完であるが故に「ドグラ・マグラ」よりも収まりがいいとする考えもあるようですが。
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連作小説「江川蘭子」って・・・
ひろぽんさん 2000年7月13日(木) 16時23分
かつて「江川蘭子」という連作小説があったらしいですね。 当時の有名どころ、江戸川乱歩、横溝正史から夢野久作までが 今で言えばリレー小説の様なものをしたわけです。 久作との付き合いも長いですが、最近知りました。
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RE:連作小説「江川蘭子」って・・・
のちさん 2000年7月13日(木) 16時23分
春陽堂からそのペンネームで出てませんでしたっけ? よくは見てなかったですが・・。 春陽堂は乱歩から横溝にかけてかなり力を入れている 出版社ですが、なにぶん取り扱ってるのがそこら辺なので いまいち知名度が低い・・・よって書店に置いてあるのも そうそう多くはないのです。
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RE:連作小説「江川蘭子」って・・・
小田牧央さん 2000年7月13日(木) 16時25分
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木魂(すだま)
ひろぽんさん 2000年7月13日(木) 16時31分
あらすじ 線路の上にたたずむ数学教師の主人公、フト我に帰る。自分は今何を考えていたのだろう?とても重大なことを考えていたはずなのだが・・・ 彼は妻と息子を立て続けに亡くし、長い間忘れていた木魂(すだま)が現れるようになる。子供の頃、大好きな数学の問題を夢中になって考えている時に現れていた木魂。何故、今になって再び現れるようになったのか?
久作の作品の中ではある意味異色である。正統的な文章というか、久作の文章は読みはじめるとスグに久作のものであると分かるくらいクセが強いが、これはちょっと分かりにくい部類に入る。
いわゆるオノマトペ、カタカナによる擬音も控えめで、叙事・叙述の描写も文学的に(?)見て達筆で繊細で、「久作的なモノ」を求めている読者は肩透かしを食うかもしれない。逆に久作の文章に抵抗を感じる人や久作初心者にはお勧めであるとも言える。 『ドグラ・マグラ』刊行前年の発表、かなり精神的には落ち着き、安定していた頃だからではないかと推測するのであるが・・・
内容に関しても、特殊な感覚を持ってはいるが人間的には極普通の人物が主人公であり、久作的な定番のキャラクターは登場しない。 しかし、小説のプロットというのか構造は『ドグラ・マグラ』とも深いつながりが見える。 まず全体の時間的な流れとして、ホンの少しの間の出来事なのであるが、間に挟まれた回想?によって小説の大部分が占められている。 また小説の構造も、見方によって二通りの結論が出来てしまい、真実の分からないままである。これは『ドグラ・マグラ』の構造のヒトツの雛形であると言える。 人間の精神・心理についての叙述は数学者の主人公の口を借りてはいるが、久作の思想の一端が垣間見られ、ヒントの一つとしてチェックしておくべきものであろう。久作は数学は不得意であったが、その分憧れというのか数学に対する思い入れは強かったのではないだろうか。
小説の叙情や全体のイメージとしては哀愁と寂莫感の漂う日常的な幻想モノという感じである。平凡に生きてきた者がフトしたことから望むべくして破滅へといざなわれて行く様は、安部公房などにも通じるものがある。 個人的に好きな作品のひとつである。
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『ドグラ・マグラ』と『ツインピークス』
ひろぽんさん 2000年7月13日(木) 16時39分
>「ツイン・ピークス」は「ドグラ・マグラ」がもとだとかも聞いた。 >「ツイン・ピークス」は見てないので判断できない。
夢野久作の作品が外国語訳されたとか紹介されたという話は聞いた事が無いので、それは無いと思います。 ただ、ある本で『ツイン・ピークス』のデビット・リンチ監督と夢野久作の類似について語られているので、それを記憶違いか読み違えたのではないでしょうか。 『ツインピークス』と『ドグラ・マグラ』では直接的な共通点はないように思います。
「夢野久作展実行委員会」発行の『夢野久作〜快人Q作ランド〜』の中で友成純一(作家)×石井聰互(映画監督)対談というものがあり、石井監督が「夢野久作はデビット・リンチと同類である」という説を唱えています。
強靭な倫理観やヒューマニズムを持っている一方で、猟奇趣味やフリーク趣味があり、矛盾なく共存している。 見世物的なものが純粋に好きなのに、同時にそこからヒューマニズムなものさえもやろうとする。 ・・・というような内容です。
ちなみにデビット・リンチ監督の代表作としては『イレイザー・ヘッド』『エレファント・マン』『砂の惑星』『ブルー・ベルベット』『ワイルド・アット・ハート』などがあります。 どれもビデオで出ていて、多く出回っているので近くのビデオ屋にでもあると思います。 また、作品世界がそれぞれ全く違うので好き嫌いはあるかもしれません。
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谷崎潤一郎『柳湯の事件』
藤原真秀さん 2000年7月13日(木) 16時43分
この作品の評価されるべきところは、「触覚描写」にある。 ・・・と、解説にも書いてありましたが、実際に、何かをさわっているような感覚を覚えます。
読後に、目を閉じるとヌラヌラとした何かに囲まれていることが、心地よくさえ思えてきます。
これは、ある意味人間誰しもが持つ『胎内回帰願望』を投影したものかもしれません。ことに、谷崎潤一郎は、母親に対する敬慕の念が強くあり、それは、尋常ではなかったと言われております。
このような、狂気の繭にくるまれて、現実世界から隔絶されることを、谷崎は望んでいたのではないでしょうか。
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